今日の晩御飯の仕立てをやっていた時、もうキッチン道具のことで頭が来た。今日は「ごぼうとにんじんのサラダ」に決めたから、ごぼうを切ることをしていました。ごぼうは硬くて、切る時にはもう十分注意をしないと結構危ない目には遭うと思いますが、キッチンに揃われた
全部の包丁がきれが悪かったんだ。全部!!これは台所とも呼べるところなんですか?切れ目の悪い包丁でごぼうを切るとどんな危機にさらされるとはっきり、この家の持ち主にはご存知でないなはず。
更に冷蔵庫の野菜室から、自分の決めていたおかずの野菜を取ろうとしていたところ、中にもうどれぐらい大昔からの野菜が入っていたのを気づいた。
いかにもお買い物をしていた人は、自分がどれぐらい買っているか、自分がどんなおかずを作ろうとして買っていたか、あるいは、自分が冷蔵庫の中に何が入っているかすら、ご存知でないはずだと思います。いや、知らないはず。しかも、知ろうともしないはずだと、近日思いつつある。
この人は、本当に料理を何だと思っているだろう?料理はふざけてんのか?それとも、家庭をふざけてるのか?
自分が何を目標にして、家庭を育てているのだろう。いや、自分が何を目標にして
生きているのか、その意識すら伝わってこない。
キッチン道具が揃ってなく、自分が事前に決めていたおかずも作れなくなった(悪くなる前にその無責任な人が買って使わなかった野菜を処分するために)一方、自分が時間をとって、もう少し母のことを思って家事に手伝おうと思っていた好意がうまく裏切られた。
母が戻ってきて、「あ、もう食べないよ。さき食べたから。」
何???と思っていたら、「先メールで送ったよ」とか、いかにも軽い口調で言い、さすが私にはもう目の前の人のことを見知らぬ人だと思った。
あ、そう。メールか?メール読んでいなかったら?作る準備をしていたから、読む機会がなかれば?って自分の頭の中に明らか考えたことがないでしょう。それとも、自分がバカすぎて、こんなに常識なことさえ頭の中に浮かばないのか?いや、そうじゃなくて、なぜ頭に浮かばないのかは、自分が「こんなこと」を大事にしていないはずだ。
「家族」「家庭」「子供」「親として」「人として」...
「あの人」には全然考えたことはないだろう。考えようともしたことがないはずしか、思わせられる。
自分が作っていた晩御飯が誰のために作っていたんだろう。私は、結婚して自分の
家族を持つようになるまで、果たして他の人のためにご飯を作れないだろうか。
もうたくさん。この家族ってのが本当の家族か?私には大きな疑問を持つ。本当だったら、私はなぜこんなに家族のことを恥として考えているのだろう。