Sunday, March 14, 2010

自分の成長期、振替えて見る... のいろいろ

ー「彼を憧れてここまで来たっていうのに、彼はもう既に10年前に消えていた。私は今まで、もう存在していない影を追っていた。どうしてもっと大きくなるのを待ってくれなかったか、私は自分の悔しさや後悔の中、ただ哀れだとしか思えない。」ー


シリアスな時が結構あるな私、いろいろ暗い思いを浮かぶ。しょっちゅう自分の成長期を振り替えてみる。そう考えながら、あまり好きじゃない思いばっかりが記憶のほとんどがなぜなのか、もっと深く問いかけた。ずいぶん前から、自分の性格が暗いせいか、感謝の気持ちの無さのせいかと無意識的に自分を責めていたかもしれないが、日本に来てからの経験がもう少し自分の立場を変えた。

日本に来て以来、子供を育てるべきだと言うこと、そういう深い印象が心の中に残された。子供と時間を過ごさない、子供のわからないことをちゃんと愛を込めて教えないと、子供が大きくなったら当然教えてない分を身に付るはずがない。自らの経験や思考で、子供が自分の推理で、自分の体験で学ぶこともあるだろうが、教えてなかった親は何も言う権利は無いどころか、子供のできないところを責める権利もないはずだと思います。むしろ、自分の怠りに恥じを感じるべきだと思う。

なぜ親は子を責める?自分を責めるべきのではないか。自分の子は自分で育つべきだと思わないか?自分の子は悪いことをしたら、それは自分がちゃんと教えてなかったのだ。子供は生まれながら良し悪しが解らないはずだというのに、なぜ責めるんだ?責めることで、子供はただ混乱する。ぞれで自分が駄目だと思い込むのも当然じゃないか。子供は何の一つも悪くないのになぜ責める?誰だって失敗するときもあるんじゃないか。

私はひたすらその子のために悲しく思わずにはいられない。子供が可哀そうで、泣きたいのだ。

自分のことを見て、以前自分のできないところを、自分を責めてばかりいた自分は、それは両親が教えてなかったから、私はこういう風に駄目なところもあるようになったと、新しく考えるようになった。

自分が親からのプレッシャーを自ら一人で抱えようとし、子供の頃の好奇心を抑え、興味を持つことを追求せず、親がいいと思ったことしか、自分をやらせなかった。「いい」とされていないものをやろうとする時でも、やる時の罪悪感が無意識的に精神なプレッシャーになって、しようともできなかったのかもしれない。

私は、こういうふうに、囲んだ箱の中に成長してきた。
羽を伸ばす感覚も知らず、解らずに大きくなってしまった。

自分の考え方がややこしいと思う一方で、両親はなぜ自分のことをもっと知ろうと努力しなかったんだろうか、今悔しく思う。子は自分より親が知るものではないかと思う。なぜか、親は子が大きくなるのをずっとそばにいて、見ているのではないか。知らないというのは、ちゃんと見ていなかったというのですか?なぜだ?自分の子なのに。

ハァー... 自分の親を責める気は全くないというのに、単に誰が責任を持つべきかと考えたら、それはやっぱり親なんじゃないかなと、そう思ってきた。もちろん、自分も子育ての際、こういう風に自分が責任を持たねばと心構えたいと思っています。

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